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まず社会的に見れば、とかく自然破壊の元凶と言われがちな四駆やオフロードバイク。 暴走族問題や峠族、ローリング族等、反社会的に見られがちなオンロードバイク。 私も昔から、そして今でもオンロードバイクで、峠を尋常成らざるペースで走っていますし、オフ車では富士山頂付近にさえ行ったことがあります。そして今でも富士山の林道に爆音を響かせながらオフ車で遊びに行きます。 そう、私も普通の人から見れば、きっと暴走族と同じように見られているだろうなと想像することもありますが、街の中を深夜爆音を響かせて走り回る暴走族は、本当に迷惑な”社会悪”だと思っています........ 俺って、そして人間って勝手ですよね。 自分のやっていることを常識的に見て、どちらかといえば”悪い行為”の部類だということは自分でも解っていますし、もちろんこれらの行為を正当化するつもりはありません。 ただ、何が悪くて、何が正しいか、何処までが良くて、何処までがダメなことなのか........ これは人それぞれが持っている価値観や、その人が於かれている環境などによって、どこに線が引かれるかで、決まってくる事だと思うので、竹を割ったようにすっぱりと決められない事だと俺は考えています。 もちろん、だからこそ国家や会社、そして学校など集団の中で生活するのには、ルールという”線引き”が必要な訳は、大人なら誰でもが知っていることです。 ただ、このようにして引かれた”線引き”でも、会社が違えば、そして国家が違えば通用しないことが多いようです。 「牛は良いけど、クジラはダメだ」 「鶏は良いけどブタはダメだ」 「テロは殺人だが、戦争は殺人ではない」 全ての人類が納得出来る線引きなんて存在しません。動物の殺生を禁じるところに”線引き”をもてば、一生野菜だけしか食べないのでしょうし、某宗教団体のように教えの中で殺人を正当化してしまえば、きっと彼らの中では、殺人も”線引き”を越えたものではないのかもしれません。 表現が大きく成りすぎましたが(笑)、身近なことに話を戻せば”線引き”の位置には、ある程度幅が有るはずです。 この位置が相対的に多数の人から見て低すぎれば犯罪行為となるのでしょうし、高すぎても人間として暮らしにくくなります。 同じ制限時速50キロの国道でも、地方によっては時速40キロで平和に交通が流れている地方も有れば、北海道のように、おばちゃんが運転する農作業の軽トラックが、当たり前のように100キロ近くで、すっ飛んでいく地方もあります。 場所と環境が変われば、多数の中に存在するマイナールールというか、ここで言う”線引き”の高さが変わる良い例だと思います。 なんか問題のすり替えのような気もするかもしれませんが、最後までお付き合い下さい。 この考え方が反社会的だと思ったあなた!それは価値観の違いと言うより、俺の”線引き”の位置が、あなたより少しだけ低いからなのだと思います。 では俺は犯罪者なのでしょうか.......(笑) もちろん自分では違うと思っていますよ! では俺の”線引き”とは何処にあるのか? たしかに昔は冒頭に書いたように、どこでも傍若無人に走っていました。でも年月を経るにつれそういう経験をして色々なことを学習し、多方面から体験的な知識を得ることによって、俺の中でも”線引き”が生まれてきたのです。経験は違いこそすれ、誰だって同じ様な経験をしているはずです。 一つの例を挙げれば、たしかに今でも富士山にバイクでも車でも入っていきますが、昔のように道無き道とか樹海の中を走るような馬鹿なマネはしません。いわゆる”道”が付いた、林道しか走りませんよ。 これが俺が引いた”線引き”です。 「アスファルトで舗装された5合目まで行ける富士山周遊道路は良いけど、林道はダメ」 もちろん「ダメなものはダメ!」言われてしまえば、それまでだし、自分のやっていることについて、正しいとは思っていないので(笑)、「ごめんなさい」と謝るしかありませんが........ 開き直って言っているんじゃないですよ。(笑) 何が正しくて、何が正しくないか......色々な事柄それぞれ、どこにそのポイントを置くか....バイクもそうですが、人間にもバランス感覚は非常に重要なことだと思います。 もちろん全ての人に、これを理解してくれとは言いません。これはあくまで俺の勝手な”線引き”なのですから。 それで”多数の人”に、嫌なやつだと思われても、悲しいことですが、しょうがない事だと思います。ことバイクに乗ることになると、走りたい、遊びたいという欲求を抑えることが出来ない、やんちゃな俺ですから.......(失笑) そして俺がインターネットに接続し利用を開始したのが1996/10/30 約1年の準備期間を経て、このホームページを開設したのが1998/3/7ですから、すでに丸4年が経とうとしています。 ページ内容は時が経つにつれ段々と変化し、ホームページを立ち上げたころは「俺のテクニックを見てくれ!!」(笑)みたいな感じで作っていたのですが、ページを更新していくうちに、色々な意味での「広がり」が出て来ました。 それが何かといえば、このホームページを介して知り合った友人は数知れず、そして今では何故か「ウィリー祐一さんですか?」と、不特定多数が集まるオフ会などでは、全然知らない人から声をかけられることも多数....... 俺にとって、ホームページを持っていることの意味が、変わりつつあります。 最近では、いっちょまえに”人命救助だ!”なんつって、こんなこともやってますし、 JpSART01.htm ラフティングでは、こんな文章を書いたりもしています。 safety_control.htm そのまったく正反対な事として、一般的に反社会的なことと認知されている”ウィリー”なるものを”売り”にして、ページ上で”ウィリー教室”なんてものまで始めて、俺がページ上でアドバイスをした方が、ウィリーを失敗して怪我をしてしまいました........ しかも、このようなケースを立て続けに2人も出してしまっています。 QA-17:ほんとに痛いウィリー失敗談 QA-18:ほんとに痛いウィリー失敗談part2 recchaer.htm ただ、私の考える”インターネット”というものは、 「情報は、発信する側が自己責任を持って発信するもの、 そして情報を受け取った時にその真贋と、その情報をどう利用し、 得られる結果については受取側の自己責任で」 というのが基本的な私の考え方なので、今まではタイトルに有るとおり、まさに”やりたい放題!!”なページ展開でやってきましたが、本当のところ最近では、さすがにこの考え方にも限界を感じつつあります。 「何が悪くて、何が正しいか、何処までが良くて、何処までがダメなことなのか」 このページを閉めてしまえば、難しいことを考えなくて済むようになりますが、それも面白くない。 たぶんこうやってずっと考えながら、このページと付き合っていくのでしょう........ あと、名前の由来でもある「ウィリー」など、バイクテクニックに関してですが、本来”ウィリー”などという特殊な技術は、誰にでも簡単に出来るものではない特別な技術な訳で、これを誰でもが簡単に、そして知識だけで実践しようとすることには無理があります。 確かに「知識」と「経験」、そして「練習」を積み重ねれば習得出来得る事なのも事実ですが、ことさら昨今の安直な、そして簡単に「情報」だけは手に入れられる世の中では、一番重要な「過程」が抜けてしまっているように感じます。 私自身、今現在のバイク・テクニックにいたるのには、未公認なバイクキャリアも入れれば、もう25年以上、誰に教わるでもなく、独学(笑)というより、バイクを使った「遊び」を通して培ってきたものなので、この「過程」を抜きには語れません。 俺のホームページ内に書かれていることは、あくまでも私が体で感じてきた経験を、無理矢理(笑)文字に置き換えてあるものです。 これを読めば誰でもがすぐにウィリーが出来るようになるというものでは無いことを、まずは念頭に置いてから、それでもウィリーの参考にしたいというので有れば、該当するページ全てが関連した一連のことなので、一部を読むだけではなく、すべてに目を通すことを、お奨めします。 |
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2002/1/21 | |
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