やってしまいました........



FaceBookやmixi、ツイッターではすでに報告済みですが、今回のことを自分の中で再確認し、自分なりに消化して、今後の人生の糧とする為に検証してみたいと思います




2011年8月13日の土曜日
この日から会社は夏休み(盆休み)。夏休み中は子供絡みでイベント続きなので自分の時間を作れるのは初日の早朝のみ。天気も良くバイクで少しだけ走りに行こうと、午前5時30分頃自宅を出発し、HONDA XR650Rで私のホームコースでもある富士山スカイライン、通称「登山道」へ向かったのでした。

ここは初めて新車で買った2スト250のレーサーレプリカの時代から現在まで、1983年から28年間も通い続けたワインディング。もちろん過去一度もコケたことは無く、正に知り尽くした道なのです。


06:00am頃には到着、早速いつもの往復区間でワインディングを5往復程楽しみ、30年来の走り仲間も集まりつつあったので北山林道入口にある駐車場で、いつもの仲間と、いつものような雑談をし、ふと時計を見ればもう8時でした。

そろそろ帰らなきゃと思いつつ、あと2往復だけしようと仲間には何も告げずに駐車場を出て下り区間は80%でおり、いつものUターン場所でUターン、いつも通り加速し、いつもどおり左、右、左、右の4つ目の上り右コーナーに飛び込んだ時にそれは起こったのです。





赤枠内、下の拡大図へ




「P」は仲間が集まっている駐車場




これ以後の写真はクリックすると拡大画像となります


※以下のバイク及び道路の状況写真を事故翌日に撮影し8/15に病室に届けてくれたのはRyuちゃん。




HONDA XR650R  使用タイヤ

前輪 DANLOP D604 三分山 5年以上使用?
交換時期記憶に無し。今から考えれば賞味期限切れか?
後輪 IRC GP210
7月に交換したばかりで交換後500km程走行




2011/8/13土曜日
08:10am頃、登りの右コーナーをフルバンクでコーナーリング中に一瞬でフロントのグリップを失い、次の瞬間、右のハンドガードが接地すると共に、右足が路面との接触で後方に飛ばされつつ体はうつ伏せに倒れ、ジェット型ヘルメットのシールドが接地、目の前にアスファルトの路面が!
この時点でたぶん体は超低空飛行中?うつぶせのままヘッドスライディング気味に空中を横滑りするように?ガードレールと路面との隙間に吸い込まれ、右脇腹からガードレールの支柱に激突、骨盤に食い込んだところで、支柱を軸に体が時計回りに回転し、路外の盛土を2m程転落して止まったようだ。
何かにぶつかった瞬間、もの凄い勢いで体がくの字に折れ曲がったのを覚えている。
擬音で表現すると「ツルッ、ザーッ、ガリガリ、ひゅーーー、ドカン!バサッ!」
たぶんここまでで2から3秒程度だろうか。




登りの右コーナーへのアプローチ。
左、右と連続したコーナーなのでブレーキは使わずにアクセルを戻してエンジンブレーキを使いつつ、一気にバンキングしながらセンターラインへ寄せていく。

(赤線で示したのが、だいたいの走行ライン)




上の写真の赤線がとぎれたあたりからの写真。上の写真の見えなくなった先にこういう景色が広がっている。

このコーナーは定常円旋回的に180度以上に回り込んでいるので、フルバンクでクリッピングを長く取り続けるコーナーですが、バイクを倒して行き、ちょうどフルバンクになった所(赤丸印)ぐらいでフロントのグリップを一気に失う。

ギアは3速、エンジンブレーキで速度を落としきって、アクセルを合わせ始める頃。

速度にして「よわ」ぐらい。
(日本語キーボード参照)

写真中央の白く削られた跡は、たぶん右ステップか?

上の写真の赤丸印からは20mは進んでいる。

@リアタイヤが接触した支柱


Aヘッドライト、ステアリングステムのアンダーブラケット周辺が激突した支柱


Bうつぶせのままヘッドスライディング気味に空中を横滑りするように右脇腹から俺が激突した支柱

当たった順番も番号通りだと想像します。





@の支柱

リアタイヤがヒットした跡
くっきりとタイヤパターンが。



Aの支柱

バイクのヘッドライト、ステアリングステムのアンダーブラケット周辺が激突した支柱



Aの支柱

路面を滑ってきたバイクの運動エネルギーのほとんどを受け止め、ガードレールと支柱を止めているボルトを引きちぎり、30度ぐらい傾いている。


バイクはAの支柱に激突した後、ガードレールと路面との間をすり抜け、Aの支柱のすぐ下2mぐらいのところで止まっていた。


俺はBの支柱の真下2mぐらいの所で、頭を斜面の上の方に向け倒れていた。


うつぶせのままヘッドスライディング気味に空中を横滑りするように?ガードレールと路面の間をすり抜け、支柱に右脇腹から激突した瞬間に支柱に巻き付くように体が貼り付き、骨盤に食い込んだところで上半身の方が重いので支柱を軸に体が時計回りに回転し、土手下に足から落下したものと想像します。


Bの支柱の根本を見ると土に埋まっていた跡が見えるので、10センチほどはガードレール全体が持ち上がっているのだろう。






ぱっと見ほとんどダメージを受けていない様に見える。

ハンドルはガードレール下をくぐり抜けた時に曲がったのだろう
後から思い出したのだが、急激にフロントのグリップを失い、ハンドル右側が路面に接地した時の衝撃のすごさを体が覚えているので、この時に一気に曲がったのかも知れない。


壊れたヘッドライトとカウル。

土手に落ちた時の泥が付いていて解りにくいが、最初に路面と接触して削られた跡が見える。


フロントフォークをクランプしているステアリングステム・アンダーブラケットのボルトの頭が飛んでしまっている。




着ていたライディングウエアの損傷状態からもほとんど減速されずに激突していると想像できるので、もしも腰からではなく頭や首からだったら即死だったと想像します。
何にしろシールドは飛んでしまいましたがヘルメットは全くの無傷、体にも出血を伴う擦過傷はほとんど無く、腹腔内で出血して出来た脇腹の血腫(後に掲載)さえ見なければ怪我人には見えないぐらい。
普通は路面を転がったり、路面を滑る抵抗で減速されるものですが、それが無かったのですからダメージは一点集中。当たり所が悪ければ...............
本当に運が良かったです。




胸に激痛が走る。
全く呼吸が出来ない。
息が出来るように叫ぼうとするが叫べない。
しばらくして浅くだが息が出来るようになり、少しずつ冷静さを取り戻す。

四肢の状態と感覚を順番に確認。4本とも末端まで感覚があり、しっかり指先まで動くので脊髄も首も大丈夫だ。その時に車が通過、はずれて路面に転がっているヘルメットのシールドを跳ね飛ばして行ってしまった。バイクもろとも路外の崖下なので道路上からは見えない模様。



もしもここで気を失っていたらと思うとゾッとする。
たぶん5分ぐらいは救急車を呼ぶのを躊躇していたと思う。意を決して激痛を我慢して上半身を起こして呼吸を整え、ヘルメットを脱ぎ、腰に巻いたウエストポーチから携帯電話を取り出して119番。
(通信記録08:18発信、通話時間2分42秒 08:24救急より着信、通話時間1分)

あれだけの衝撃で腰からぶつかったのに携帯電話が無傷というのも運が良かったとしか言いようがない。携帯電話が使用できず、救急搬送が遅れていれば確実に危険度は高まっていたはず。

電話で状況と、詳細な場所(どこから何個目の右コーナーの外側路外に居ると)を伝えていると、車が気付いて止まってくれた。上半身を起こしたので路面とガードレールとの隙間から頭が見えたからだと思う。救急車は呼んだので、ここから5km程先に居る仲間に知らせて下さいと頼む。

続いて作業服を着た2人組も止まってくれた。バイクのキーを抜いてくれるように頼むと年輩者の方が若い方に「燃料コックも締めてやれ」と指示を出し、若い方もすんなりとこなし、抜いた鍵をライディングジャケットのポケットに入れてくれた。彼らもバイク乗りに違いない。
そうこうしていると走り仲間も駆けつけてくれ救急車も到着(8:30頃と想像)、全く動けない俺を全員で協力して担架に乗せてくれ救急車に収容。
ライディングジャケットをなんとか脱ぎ、ジョキジョキとライディングパンツを切られているうちに「こりゃ市立病院だね」と収容可能確認をする前に出発。
救命救急士が聴診器で胸の音を聞き「気胸」と判断、実際に肋骨が折れた所がゴリゴリと音を立て、呼吸するたび胸が膨らみ、どんどん呼吸が浅くしか出来ない様になっていった。
救命救急士も「深呼吸はせずに浅く息をしてくださいね。じゃないとどんどん空気が漏れちゃますよ〜」と言われる。
たぶん15分程度だとは思うのだが激痛の中、呼吸も苦しく、時間がものすごく長く感じた。
若い救命救急士が一生懸命に俺の体が揺れないように押さえつけてくれるのだが、冷静さを保てない意識の中、鮮明に覚えているのは運転席に向かって「少し急ぎましょう!」............その後俺に向かって「少し急ぎますので車が揺れますが頑張って下さい!」という言葉。
今、俺が置かれている状況を端的に表していて、少し怖くなった。




たぶん市立病院に到着したのは9時頃だろうか。人間って不思議、病院に着いただけで安心して痛みが和らぐ。救命救急室に搬送され処置が始まる。この時点での当直の医師は耳鼻科担当、すぐに非番自宅待機の外科医師を招集。

まずは汚れを拭き取り怪我の場所を外見と「痛いところはないですか?」と聞き取りで特定してゆく。まずはレントゲン検査。ストレッチャーから台の上に移動するだけで大騒ぎ!大人が4人がかりで体の下のタオルを使って持ち上げてくれるのだが痛いのなんのって!胸、腹、腰、腕と順番に撮るのだが 体位を少し変えるだけで激痛が。いったん診察室に戻り、次は血管造影CT検査、これがまた台の移動が痛くて痛くて。右腰を押された瞬間に思わず大声で叫んでしまいました。撮影も終わり技師に、どうですか?と聞くと「内蔵もかなりやられているけど、骨盤はバラバラだよ!」だって。




聞いた瞬間血の気が引き、頭が真っ白に。マン島TTで事故死した前田淳も、骨盤を粉砕骨折し大量の内出血からショック状態になり、逝ってしまった。もちろん俺自身が持っている知識でも「バイク事故+骨盤骨折+内臓破裂=死亡率上昇」ということは知っていたのでちょっとした精神的ショック状態。もちろんそのころには駆けつけてくれていた妻も同様。妻いわく、友人が某大学病院の整形外科の本部長で「何かあったら相談してください」と言われているので電話をかけても良いかと。少し迷ったが相談するだけならと電話をかけてもらったら、今日は非番だが直ぐに病院に駆けつけるので受け入れOKだと。しかもドクターヘリまで飛ばせます!と言ってくれたそうだ。
それもこれも骨盤骨折が一刻を争い、どれだけ危険かということを裏付けている。
俺自身知ってはいたが確認の為に、それとなく近くの看護師さんに聞いてみる。市立病院にはヘリポートは無かったですよね?
「有りませんね。指定着陸場所は城山球場です」
城山球場なら、ここから車で5分だ。某大学病院から城山球場までは直線距離で40km程度だろうからヘリなら巡航速度時速200km/hとして15分もあれば飛んで行けるなと頭の中で勝手に計算していた。

11:00頃ようやく外科医師が自宅から駆けつけてくれた 。別室で資料に目を通しているようだ。正直すでに事故後3時間が経過、レントゲン技師から言われたことも合わさり、私自身も妻も焦っていた。ショック状態に至るまでにどれぐらいの時間が残されているのか........




先生の紹介を受けると同時に私から切り出した。笑顔で骨盤真っ二つですか?と

「真っ二つじゃないですけど、腸骨というところが粉砕骨折しています」

聞いた瞬間なぜか助かったと思った(今考えると粉砕骨折の方が怖い気がする)。
と同時に迷いも生じた。ひととおり怪我の状態の説明を聞いた。正直半分うわの空で聞いていたようなところもあったかもしれない。
また自分から切り出した。変なことを聞いて気を悪くなされたら申し訳ありません、実は私の友人が某大学病院の整形外科の本部長なんですが、先ほど妻が電話をかけて状況を説明しましたら受け入れOKだそうです。しかもドクターヘリも飛ばせますと言ってくれたようなんですが、実際のところ動かせるような状況なんでしょうか?

「内臓の損傷が激しいから出血をコントロールする為にも絶対安静で動かさないほうが良いと思うけど、んー...........」  (沈黙)

「動かして大出血となったらすぐに危険な状態になりますので.............」


俺自身も迷っていた、先方には骨盤真っ二つと伝わっているが実際は違っているようだし、はたして自分が危険な状態なのか?今後そうなる可能性は?後遺症は?
俺はどうすればいいんだ?!

無責任だがドクター同士に話をしてもらって判断材料にしたいと考えた。妻がもう一度電話をし、市立病院のドクターに代わってもらった。
結果、現時点では整形外科より外科的要素の領分の方が多く、優先度も高い。そして大出血のリスクが有るので動かさない方が良いだろうと聞かされ、私自身すぐに決断した。

大変申し訳ありませんでした、是非こちらでの治療をよろしくお願いします。

先方には電話で丁重にお断りし「何かあれば受け入れできますから」と、最後までありがたい言葉をいただいた。

ドクターヘリに乗り損ねてしまった(笑)





2F外科病棟、ICU隣の重傷者専用個室(差額ベッド代無し)に入院。本来はICUなのだが、妻が付き添う事を考えてくれたのであろう。部屋も空いていたし優先入居。

まずは病院内移動用の堅いストレッチャーから寝たきり者専用のベッドへ移動(低反発ウレタンのマットレス使用。後に電動だと判明)。まずは酸素吸入のチューブを鼻に装着。生命維持に必要な医療モニターを動かす各種センサーが体に取り付けられていく。心電図、脈拍、血中酸素量、指先脈拍計、血圧、呼吸波形、呼吸数、もちろんナースセンターでもモニターしているそうだ。続いて左手には点滴、右手には緊急輸血に備えて輸血ラインが留置された。早速、内臓からの出血を止めるための止血剤入輸液の点滴が始まった。そして導尿カテーテルの装着。


脚を伸ばしていると筋肉が引っ張られ、痙攣して痛くなる。立て膝をしていると下腹部が圧迫され、お腹が痛くなってくる。これの繰り返しで、自分では脚の曲げ伸ばしが出来ないので妻がやってくれた。




後日談:私が入院した2日後の月曜日に、個室管理が必要な重症患者が入院して来た為、重症患者専用個室から通常の個室へ移動したのだが、その方は2日後の水曜日に亡くなった。
そうか、重傷者専用個室ってのは突発的に入院して来て尚かつ急変の可能性が高い患者専用で、家族が看取るのにも都合がよい部屋になっているってことか?


現時点で私が把握しているのは、肺は気胸だと思ったのだが違って、肺挫傷から炎症を起こしている事、肝臓と腎臓が裂けて腹膜内で出血中、他の臓器もダメージを受けているだろうが現時点では不明な事、骨折した骨盤は腸骨という部分がバラバラで、程度は解らないが出血している、骨盤を骨折すると内腸骨動脈という太い動脈を損傷し、出血性ショックに成る可能性があること、肋骨も何ヶ所かで折れているが詳しくは検査していない、右手親指の第2関節部の骨折。

担当医から口頭で説明を受けた内容と、レントゲン写真や血管造影CT画像を見て来た妻からの伝え聞きした内容のみなので、怪我の全体的なイメージが湧いてこない。しかも外傷は無いに等しく外見上の出血も無し、そしてベッドに仰向けで寝ている分には両手も自由に使え、左足もOK、右足は痛みで曲げたり伸ばしたりを自分では出来ないが、誰かに動かしてもらえば自由に動き、安静にさえしていれば鎮痛剤を点滴投与しているので痛みも我慢できないレベルではない。




今思えば、たぶん私自身、事の重大さにこの時点では気付いておらず、現状を一番理解し、そして把握していたのは妻だろう 。
主治医の説明を血液検査の数字と血管造影CT画像と併せて聞いてきており、胸部レントゲン写真には炎症で真っ白に、そして出血で圧迫されて少し縮んだ肺が、腹部画像には裂けた肝臓と腎臓からの出血が漏れ出た造影剤と共に大量に映し出され(分厚い内蔵脂肪も一緒に写っており、これが大出血を防いだとも?ウソ)
腰部画像には複数箇所が骨折している骨盤が、そして私の右脇腹に出来ている直径20センチもある巨大な血腫も自分の目で見ているのだから。
(この時点で体が全く動かせない俺には自分の腹を見ることさえ出来なかった。


かなりの頻度で採血。成分分析で貧血が、つまり大出血が起きていないかを確認。両腕は点滴用と輸血用で塞がっており、足の甲から採血するのだが痛い痛い。普段は注射針が刺さった程度では全然平気なのに、思わず声を上げてしまうほど痛い。しかも頻繁に採血するので、あちこち穴だらけで、取る場所が無くなって足の指の根本から取った時が最高に痛かった。
両足の甲にマジックで×印を書かれたのですが、足に延びている動脈の末端だそうで、内臓で大出血が有るとここの脈が振れなくなるとのことで採血の度に確認していきます。
併せて医療モニターにつながれた血圧測定器が自動的に血圧を測って画面上に表示するのだが、この数字が急激に下がったら緊急手術ですと担当医に言われていたので、機械が計る度に妻が数字を教えてくれました。




08/13 土曜日 入院初日
17:00頃 状況が悪化した場合の想定としては輸血の必要性、出血部の止血=動脈塞栓術、緊急手術。

「入院診療計画書」に記載された内容
症状:肝損傷、腎損傷、肺挫傷、肋骨骨折、肺挫傷、骨盤骨折
治療:絶対安静にて経過観察、状況によっては動脈塞栓術、緊急手術となる可能性もあります。

提出した同意書、血管造影検査、中心静脈カテーテル挿入に関する同意書の提出

心電図、脈拍、血中酸素濃度、血圧、呼吸数、呼吸波形をモニターし、酸素吸入2L/min、内臓からの出血を止める為の止血剤(2アンプル)、及び水分電解質補給の為の輸液の継続投与。胸と腰に2つコルセットを装着。骨折箇所の安定という目的もあるが、現時点では腹腔内での出血を圧迫で抑えるという目的の方が大きいようだ。




絶飲・絶食、寝返り禁止の絶対安静で、結局痛みと緊張から一睡も出来なかった。




翌日の報告へ続く。。。。