「またまたやってしまいました」のPart3です





08/22 月曜日 入院10日目

05:30 採血、血圧、体温、血中酸素濃度、脈拍を手動で計測。酸素吸入1L/min

10:00 導尿カテーテル、通称バルーンを外しました!
入れるときはもちろん痛かったのですが、体を動かしたはずみで引っ張られると痛いのなんのって。最近では朝になると痛みで起こされる(男性特有w若い証拠w爆)ことが何度か続いたので、早く取りたかったのですが、まだ10日目なんですが良いのでしょうか?
あ!もちろん外すときも痛かったけど本番はこれから。この後何回かはオシッコをすると激痛が走るそうです。ちなみに午後のリハビリでは立ってみるそうです。しかも歩けたらトイレ(大)も自分で行って良し!なので、これで「オムツ+チリトリ」から解放されるかと思うと、嬉しくて涙が!

11:00 リハビリに備え酸素吸入中止

12:13 一気に生活レベルが上がりすぎて部屋が散らかっています。鈴木さんからb-mobile WiFiを借りたので、10日ぶりにでパソコンでメールチェックしたら1879通でした。意外に少ない?うち、仕事で重要が11通、個人雑用が108通、その他1760通はゴミです。

15:00 リハビリ室へ‎
10日ぶりにウィリー祐一、立つ。
しかも歩行器で歩く。


もちろんいきなりリハビリ室に行って立ったわけではなく、まずは午前中にベッドサイドでまっすぐに立てるかを確認してから。
午後、看護師さんに車椅子を押してもらってリハビリ室に向かい、最初はおっかなびっくりだったもののすぐに慣れ、平行棒で歩けることが確認できた。ただしこの時点では右足に完全に体重を預けることは出来なかった。


8/17の水曜日の時点で、骨盤の骨折に関しては大腿骨との接合部である股関節に損傷は無く、立ち上がるだけなら問題が無いことは解っていたのだが、これでそれが証明されたことになる。












08/23 火曜日 入院11日目

06:30 採血が無くなる。血圧、体温、血中酸素濃度、脈拍を手動で計測。

07:00 勤務シフトの関係だろうが、毎朝「今日の看護担当のOOです」と言って看護士が来てくれるのだが、今朝は開口一番「奇跡的にで良かったですよね!」と言われた(笑
今までも「運が良くて良かったね」とは言われたりしていたのだが、たぶんナースセンターでの引継ぎの際に、誰々さんはこんな感じですのでよろしくお願いしますみたいな、たぶん「奇跡的に助かったOOさん」ぐらいの修飾語で引き継がれているのだろう(笑
体は日々治っていくのを実感しているが、逆に事故直後の状況がどれだけ悪かったかも日々実感を深めている。












08/24 水曜日 入院12日目

06:30 血圧、体温、血中酸素濃度、脈拍を手動で計測。

10:30 事故から12日目、シャワー解禁!なんせね、体はマメに拭いてもらっているからいいけど、バルーンが付いてる間はオムツでしょ、だから「マタ」の部分がクサいのなんのって!とても人間とは思えない、そう、ケモノのニオイだったのですが、昼前にシャワーを浴びてさっぱり!服も今までは浴衣を前後ろ反対に着ていたのが、Tシャツ短パン。


ちなみにですが私の父は、私が1歳の時(45年前)に車に乗ってJR身延線と喧嘩しています。当時は踏切に遮断機がなかった時代で、会社を創業したばかりでしたので、たぶん考え事をしていたのでしょう、電車が近づいてくる踏切に侵入し、車ごと電車にはね飛ばされ、自分はフロントガラスを突き破って20mほど飛んで、落ちたところは運良く小川の水の中。その当時ですからコンクリートの護岸など無く、水と柔らかい土がクッションになったようです。車はそのまま引きずられてグチャグチャで、周りの人は車を見た瞬間死んだなと。

今年で84歳になりますが、もちろんまだまだ元気ですw

ちなみに「JR身延線喧嘩事件」には後日談がありまして、もちろんこの時代(昭和41年)ですから車にシートベルトなど付いているわけもないのですが「自分はシートベルトをしていなかったから助かった」と主張するわけです。このせいでシートベルト着用の義務化となった時も、しばらくは付けなかったですね。何回か捕まって渋々するようになりましたが、今度はゴルフ帰りに富士宮バイパスの長い下り坂になっている信号交差点で、止まっていたゴミ収集車にノーブレーキで居眠り運転で突っ込み、当時乗っていた大型高級セダンを廃車にしましたが、自分はエアバックとシートベルトを着用していたおかげで全くの怪我無し、しかも熟睡していたのでムチ打ちも無しと。やっぱりシートベルトは付けていて良かったね。
という、お話しです(笑)



14:00
昨日の午後に、個室管理が必要な重症患者が新たに入院してくると言うことで、個室(全3室)からの移動を要請される。個室に入っている患者の中で容態的に一番動かせるのが私ということらしい。ただ自分の仕事を病室でするつもりだったので大部屋では都合が悪い。聞いてみたら3Fの整形外科病棟に個室の空きが有り、そちらへ移動決定。

1フロア上がっただけなのだが、2F外科病棟と3F整形外科病棟の雰囲気の違いに驚く。特に長い間かけてようやく看護士とコミュニケーションが取れるようになったのに、新たな病棟に移ったので一からやり直しというのが辛い。


ここからが悪夢の始まりだった。移動に伴ってベッドが変わったので、低反発から固い普通のマットレスに変わってしまい、荷重が集中するのかあちこち痛くなって寝苦しいのに重ねて、個室の向かいにあるナースセンターから響いてくる医療モニターのアラーム音が一晩中鳴り響き、特に明け方は看護師も対応でてんてこ舞いなのだろう、ナースセンターのドアを開け放してあちこち飛び回っており、アラーム音がより一層大きく鳴り響き、結局一睡も出来なかった。そしてマットレスが変わったことで、背中と腰が痛みを伴ってパンパンに張ってしまった。












08/25 木曜日 入院13日目

06:30 採血、血圧、体温、血中酸素濃度、脈拍を手動で計測。

08:00 差額ベッド代を払って個室に入っていたのにもかかわらず、病院の都合でどうしても個室管理の必要な重症患者がいるからと文句一つ言わずに部屋を譲ったのに、この仕打ちはひどいよと。
順調に回復してきたのに昨夜の睡眠不足で明らかに回復が後退し、今夜も同じようだと精神的にも参ってしまう。もう個室に固執しない、大部屋でも構わないので2Fの外科病棟に戻してくださいと婦長に直訴!

結果、3Fの整形外科病棟から2Fの外科病棟の4人部屋に移動が決定。午前中に無事移動できました。

11:00 第3回レントゲン撮影(胸部及び腰部)
1Fのレントゲン室まで車椅子で移動。

17:00 主治医より説明有り。朝の血液検査の結果が良い。もちろんこの日の数字だけ見れば正常値ではないが、近い数字。大きく悪い数字もあるが、内出血を自己吸収する過程で増える成分なので理由がハッキリしているので大丈夫とのこと。このペースなら来週にも退院し自宅静養に切り替えられるかもしれないとのこと。

「内臓破裂+骨盤骨折」言葉だけ聞くと死んでてもおかしくない。このままだと2週間チョットで退院なんですけど!(驚

21:30 就寝。今夜は絶対に寝るぞと睡眠導入剤マイスリー5mgを処方してもらい服用












08/26 金曜日 入院14日目

05:30 起床、久しぶりにぐっすり寝られた。

06:30 血圧、体温、血中酸素濃度、脈拍を手動で計測。












08/27 土曜日 入院15日目

04:30 起床

06:30 血圧、体温、血中酸素濃度、脈拍を手動で計測。

患者識別のバーコード付きのタグを右手首に付けている。


昼食後から胃が痛む。

夕食後は本格的に痛み出し、新たな胃薬を処方してもらう。
たぶん8/19から服用している鎮痛剤のロキソニン錠が胃を荒らしてしまったのだろう。同時に服用しているムコスタ錠とは違う働きをする胃腸薬が処方された。

タケプロンOD錠 15mg 晩、食後に1錠服用開始

11:30 痛みから寝られず。












08/28 日曜日 入院16日目

06:30 血圧、体温、血中酸素濃度、脈拍を手動で計測。
胃の痛みに加えて体中が痛い。胃が荒れたので痛み止めの服用を中止したのだが、こんなにも痛み止めが効いていたとは。痛みでベッドの上から動けず。
昨日までリハビリも相当に頑張っていたのだが、それもこれも鎮痛剤が効いていたからで、鎮痛剤を飲まなければリハビリどころではなかったはず。こんなに痛みが出ている体を、調子に乗って酷使してしまったのではと後悔。少しだけ怖くなった

非常電源拡張工事の為、病院全体が非常用の赤コンセントを除いて07:00~10:00まで停電

11:00 シャワー室利用

12:00 昼食 胃痛から初めて給食を1/3ぐらい残してしまった。

午後は体中が痛いので1日中ベッドの上で過ごす。
時々下腹が差し込むように痛む。
これは胃の痛みじゃないよなぁ~。
前にドクターから聞いたのだが内臓には痛みを感じる神経が通っていないので、ちぎれていても痛くないそうだ。ただし、内臓を包んでいる腹膜や筋肉組織には神経が通っているので、外傷性で内臓を痛めた場合はこれらが痛むと言っていたのを思い出した。

17:00 結局痛みに耐えきれず、鎮痛剤のロキソニンを頓服として服用。

すぐに効果が出て痛みが消えてゆく。








翌日の報告へ続く。。。。